愚か者のFX-11-

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シナリオ作りを捨てるー希望を呼ぶ情報を捨てるー


短期的にせよ中長期的にせよ、トレードにはシナリオというものがある。トレンドが継続する中で「この形になったら押し目買いをしよう」とか、「ここまで戻れば戻り売りをしよう」というものだ。こうした売買の機転をトレード戦略と呼んでいるのだと思う。重要なのは、それがチャート上にすでに確定した価格の推移によって組み立てられているということだ。

価格はすべての事象を織り込む。このダウ理論の原則をどう解釈しているだろうかと、何度も自問したことがある。政策金利、経済指標、大規模災害の保険金需要。様々な根拠のもとに価格は動いていくが、中にはその理由の詳らかでない値動きもある。口先介入や突然の政変のように、理由付けのできない需給の変化をローソク足の形成前に知ることはできない。

私は長く誤解していたのだ。あらゆる情報が価格に反映されるのなら、未来の値動きもある程度は予測できるのではないかと。だがこれは論理が破綻している。価格に織り込まれているのは、すでに起こった事象だけだ。未来に起こる出来事は、起こるまで価格に反映されようがない。確定した価格と、未確定の価格。価格はすべての事象を織り込むということと、未来の価格は予測不能であるということは、両立する。

雇用統計発表前になると、決まってH4の地形を見ながら同じ迷いが顔を出す。予測値がたった+0.1%改善しているだけで、その小さな数字にドル円は上がるだろうと決めてかかり、発表前のロングを準備しかけている自分に気づく。わずかな数字ほど、チャートを睨む自分の心を揺さぶるものはない。
かと思えば、10万人規模の雇用減というような数字が出たとして、それが実際に何pips分の値幅を生むのかは、発表前には想像すらできないインパクトとしてしか存在しない。小さな数字は心を、大きな数字は値幅そのものを揺らす。だがそのどちらにも、蓋を開けるまで再現性のある答えはない。結局いつも、発表直後のローソク足が終値で上位足の地形を否定するまで、何もしない。何もできない、というべきかもしれない。

それでもなおイベントを軸にしたシナリオを作ってしまうのは、当てたいという欲望があるからだ。リスクマネジメントとして指標発表時のトレードを控えることは一つの手立てになるが、その逆に「ここで大きく獲れるはずだ」という幻想を抱く不可解さを、我々トレーダーは同じくらい持ち合わせている。私が捨てたのは、「この結果なら上がる」とか「ここが天底に違いない」といった、欲望によって形作られたシナリオそのものだ。それは価格の未来を当てに行く行為に他ならない。

一貫したテクニカルトレーダーは、チャートに刻まれた事実によってトレードする。事実とは、すでに確定した平均価格であり、地形と風と波が合意したローソク足そのものだ。指標発表前にも、価格は動く。想定していたイベントとはまったく別の要因で動くことも当たり前にある。この事実を前にして、「イベント待ち」というシナリオはあっけなく意味を失う。

人はなぜそんな不可解なトレードをしてしまうのか。それは、相場を当てたいからだ。大衆が動き出す前に自分だけがその値動きに乗れるという優越感、一撃で損失を取り戻したいという焦り。その自己陶酔にも似た衝動の正体は、希望だ。希望が判断の主語を奪い、チャートの示す事実を見えなくする。

今、私が拠り所にしているのはチャートに刻まれた事実だけだ。結果の良し悪しを予測するのではなく、確定した価格を見てから判断する。指標発表時のトレードを控えるのは、当てられないからではない。未来が予測不能だと知っているからだ。

価格はすべての事象を織り込む。
だがそれは、未来まで予測できるという意味ではない。
希望がトレーダーに舟のオールを取らせる。
幻想に囚われたトレーダーのストップを巻き込みながら、価格は確定していく。

チャートに希望はない。そこにあるのは確定した価格だけだ。


この連載: 愚か者のFX (11 / 14)
シリーズガイド |希望をこの手から放し、確定した価格へ戻る。

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