前回の記事で、私は「観測には完了がある」と書いた。
構造が否定され、状態が遷移し、到達によってひとつの観測が閉じる。そこに区切りがあるから、次の観測へ移ることができる。
書き終えた後で、私は少し立ち止まった。
市場は続いている。価格は動き続けている。そしてフラクタルとして、どの時間軸にも似た構造が現れ続ける。その中で「完了した」と言い切ることは、本当にできるのだろうか。
相場を見ていると、どこまでも似た形が現れる。小さな波の中に大きな波があり、その大きな波の中にもまた小さな波がある。
だから相場はフラクタルだ、と言われる。
しかし観測する側はその無限の入れ子を、そのまま抱えて判断することはできない。どこかで一区切りを与えなければ、状態も、遷移も、完了も定義できない。
この記事で書きたいのは、フラクタルが間違っているということではない。むしろ逆で、市場がフラクタルであるからこそ、観測には有限の単位が必要になる、ということだ。
終わらない構造の中にいる
長期足で見ていた構造が、短期足に降りると同じ形をしている。その短期足の中にさらに降りると、また似た形がある。
ずっと昔、最初にそれに気づいた時、私は少し怖くなった。
どこまで降りても終わらないのだとしたら、私はいったいどこを見ていたのだろう。上位足の波の中の、下位足の波の中の、さらにその内側の波。どれが本当の構造で、どれが従属しているのか。境界は、どこにもないように見えた。
しかしフラクタルとは本来そういうものだ。自己相似は原理的に終わらない。
どこまで拡大しても、どこまで縮小しても、似た構造は現れ続ける。そしてそれは、観測者の有無に関係なく存在している。誰が見ていようといまいと、市場は同じように動く。
そこに私はフラクタル構造論とカオス理論の統合をして、フラクタル構造論が持たず、チャートが持つ「時間」という概念を組み合わせた。
上下ではなく左右の、過去から現在へ至る時間の変遷だ。
カオスが世界そのものの振る舞いならば、フラクタルは、その痕跡だ。
観測単位は、別のものだ
だとすれば、観測単位はフラクタルとはまったく別の話になる。
観測単位とは、フラクタルな世界の中から意図的に切り出した、有限の一区間だ。構造が否定されて始まり、状態の遷移を辿り、到達によって完了する。始まりと終わりを持つ、ひとつのまとまり。
重要なのは、この区間が自然に存在しているわけではないということだ。
観測者がそこに境界を置き、ここからここまでをひとつと見ると決めたときに初めて成立する。フラクタルは市場が持っている。しかし観測単位は、観測者が与えている。
この違いが、すべての起点になる。

再帰させると何が壊れるか
この区別を曖昧にすると、何が起きるか。
ここから少しだけ実装寄りの話になる。ただ、言いたいことは単純で、観測単位をそのまま無限に連結すると、「完了」という感覚が壊れてしまう、ということだ。
ある構造を切り出し、その到達を観測する。それ自体は問題ない。しかしその結果をさらに上位構造として再び観測し、同じ定義を繰り返し適用しようとした瞬間、観測は膨張し始める。
どこが終わりなのか分からなくなる。すべてが連続した一つの構造に見えてくる。完了のはずだった地点が、次の観測の途中に変わる。
私がmacroFEを再帰させないことにしたのは、そういう理由からだった。
macroFEは構造否定波動全体を上位波動として捉えるためのスケールアップ観測として定義したものだが、ここにフラクタルの性質をそのまま観測に持ち込んでしまうと、観測単位が消える。あとに残るのは、ただの追跡だ。
追跡は観測ではない。どこへ向かっているのかも、どこで終わるのかも、分からないまま価格の後を追うだけになる。
macroFEを循環させようとするとそれは初期構造を拡張したものか、上位構造へ接続したものか、さらに大きな構造のどこなのかが、すべて混ざってしまうのだ。
スケールを選ぶという意思
では観測単位は、どのスケールで切り出すべきなのか。
ここに絶対的な答えはない。
ただひとつ言えるのは、スケールは市場が決めるのではなく、観測者が決めるということだ。
どの時間軸を主として扱うのか。どの構造をひとつの流れとして見るのか。どこまでを同じ観測単位に含めるのか。
その選択そのものが、観測を成立させている。
スケールを決めなければ、フラクタルは無限に広がり続ける。その中では何も確定しない。状態は閉じず、到達は意味を失い、観測は終わらない。
観測とは、フラクタルな世界の中からひとつの層を選び取り、そこに境界を与える行為なのだ。
その境界を持つことにとって、何が成立し、何が崩れ、何が到達だったのかを定義できるようになる。
そして観測が境界を持っても、市場は終わらない。
波はひとつ終わっても、また別の波へつながっていく。
フラクタルであることと、観測単位を持つことは矛盾しない。
むしろ、無限に続くものを扱うためにこそ、有限の区切りが必要になる。
EA開発で私が作ろうとしているのは、市場そのものではない。
市場の中で、どこからどこまでをひとつの観測として扱うか、その境界を壊さずに持ち続けるための器なのだと思っている。
変わらない灯火の照度
海と空の境目が見えなくなる夜を想像する。
どこまでも続く暗さの中で、すべてがつながり、連続しているように見える。
そのとき、遠くに灯りがひとつある。
その灯りはすべてを照らし出すわけではない。ただその周囲に、わずかな輪郭を与える。空と海が、そこでは分かれて見える。
灯火の照度は変わらない。だがその範囲の中では、世界に区切りが生まれる。
フラクタルな市場の中で、どこをひとつの単位として見るのか。その選択によって初めて、輪郭が現れる。
灯りを置く場所を決めること。それが観測者の仕事なのだと思っている。
