ふざけたタイトルだ。要するに寄り道ブログってことになる。雑記として面白がってくれたら幸い。
最近、たまたまXを眺めていたら、四次元についてのポストが流れてきた。
四次元空間から三次元宇宙を俯瞰すると、過去・現在・未来がひとつの巨大な構造物のように存在していて、四次元の存在はその中から見たい瞬間を選んで見ることができる――。
だいたいそんな話だった。
私は多次元宇宙にも紐理論にも詳しくない。語彙だけ知ってる状態なので適切なのかも不明だ。
なので最初は「ふーん、そういう考え方があるのか」くらいだったのだが、引用や返信を読んでいるうちに、なんだか知っている話のように思えてきたのだ。
もし四次元の存在が、「ここを見たい」と思い、「そこを見る」という行動をするなら、その存在自身にも、見る前 → 見ようとする → 見る という状態の変化があるのではないかと思える。
だとすれば、そこには何らかの流れ、順序があるはずだ。
それを私たちが時間と呼んでいるものと同じものだとは限らないにしても、少なくとも「変化」はしている。そんなことを考えて、思わず返信した。
私はあまり人のポストに返信したり引用したりしないのだけど、最近妙にマイブーム化している感がある。
それはそれとして、ただ、この辺りから私の頭の中では、四次元の話がだんだんチャートの話に置き換わっていった。
日足を見ている人と15分足だけを見ている人
例えば、日足まで観測できるAと、15分足しか観測できないBがいるとする。
Aには、15分足、1時間足、4時間足、日足という多層構造が見えている。
一方、Bには15分足しか見えていない。
このときBからAを見ると、Aは自分には見えない何かを見ている。しかし、だからといってAが未来を見ているわけではないと言える。Aが見ているのは、Bよりも大きな構造だ。
こうやって整理している内に、なんだかおもしろくなってきた。
普段チャートを見ていると、15分足と日足はまるで別々の時間が存在しているように感じる。でも実際に流れている時間はひとつしかない。15分足も1時間足も4時間足も日足も、同じ価格変動を異なる解像度で観測しているだけだ。
日足では一本の陽線として見えているものが、1時間足に降りれば、上昇して、押して、もう一度上昇して、少し揉み合って、という複数の出来事になる。さらに15分足に降りれば、その一つ一つの出来事の内部にも構造がある。
つまり、一つだった出来事が、観測する階層を変えることで複数の出来事に分解される、という整理の仕方だ。
ここまで考えたところで、「四次元を三次元へ落とす」という話が急に身近になった。もちろん物理学として同じだと言いたいわけではない。
ただ、私の頭の中では、高次元のものを低次元へ分解するという話が、1つに見えていた解釈を、より細かな状態へ展開するという形に置き換わった。
そうすると急に理解できる。「未来を見る」と「構造を見る」は違う。
さらに面白かったのがここだった。
仮にAが完成した一本の日足を見ているとする。Bはその日足の内部を15分足で一本ずつ進んでいる。
Bにとっては、15分足① → 15分足② → 15分足③ → …といった具合に出来事が順番に起きている。ところがAには、それら全部を含んだ一本の日足が見えている。
もしそんなことが本当にできたなら、Bから見たAは未来を知っているように見えるだろう。
「まだ15分足の途中なのに、なぜ今日の終値を知っているんだ?」となる。でもAからすると、未来を予知しているという感覚ではないと思われる。1本の日足という完成した構造を見ているだけなのではないかと思うのだ。
ここで私の中では、「未来が存在する」という話と、「自分より大きな構造を観測している」という話が少し分かれた。
これは意外と大きな変換点だった。
未来予知とか時間旅行とか、そういう話を読むと私はどうしても、「今ここにいる自分が、まだ起きていない未来の出来事を知る」と考えてしまう。
でも、もし時間そのものを含めた全体を一つの構造として扱えるのなら、未来を見る、ということではなく、こちら側では時間的に展開して見えるものを、向こう側では一つの形として見ている、という捉え方もできる。
そうすると、かなり印象が変わる。――変わらない?
チャートにしか見えないって
そんなこんな一人で面白がっていると別のポストが流れてきた。
映像から三次元の状態を再構築し、それぞれを正しい時間位置へ配置することで、space + timeとして四次元的な構造を作る、という内容だった。
それを見た瞬間、「いや、もうチャートじゃん」と思った。
15分足を並べれば1時間足になる。1時間足を束ねれば4時間足になる。4時間足を束ねれば日足になる。
実際のチャートでは単純に「上位足=下位足を束ねただけ」ではなく、観測上の意味も変わる。
それでも、複数の状態を、それぞれが存在する位置関係を保ったまま統合すると、上位の構造が現れるという見え方は、とてもよく似ていた。
最初はほとんど理解できなかった四次元の話が、チャートという自分の知っているものに置き換えた途端、急に輪郭を持ち始めた。
そして関連するポストを読むたびに、時間、解像度、構造、観測範囲、状態遷移が少しずつ別のものとして見えてきた。
分からないものは、知っているものへ置き換えてみるってこと
今回の話が物理学的にどこまで正しいのかは分からない。たぶん細かいところまで突き詰めれば、私が想像しているものとは随分違うのだと思う。
ただ、それでも面白かった。なんだか妙に楽しかった。
分からないものは、知っている構造へ置き換えてみればいい。
すると、単なる比喩だったものが、新しい問いを生むことがある。
今回なら、「高次元の存在は未来を見られるのか?」という問いが、「未来を見ることと、より大きな構造を見ることは同じなのか?」という問いかけに変わった。
そして、「時間が何層もある」と解釈していたものが、「時間はひとつで、状態の説明が多層化しているだけではないか」という見え方になった。
四次元について考え始めたはずなのに、最後にはまたチャートを見ていた。たぶん私は、何を考えても一度チャートにしてみないと気が済まないらしい。
まあ、それはそれで便利な癖なのかもしれない。
