AIと人と――思考の加速装置から、認知の拡張装置へ

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以前、ChatGPTとの対話の中で、AIを「思考の加速装置」と表現したことがあった。正確には、私がそう言ったのか、ChatGPTがそう言ったのか、今となってはよく覚えていない。ChatGPT自身がAIをそう説明したのかもしれないし、私が理解しやすいように別の概念をその言葉に置き換えてくれただけだったのかもしれない。ただ、妙に腑に落ちたことだけは覚えている。

一人で考えていれば何日もかかったことが、AIと会話していると数時間で整理される。ぼんやり考えていたものを言葉にすると、少し違う形になって返ってくる。それを見て「ああ、そういうことか」と思うこともあれば、「いや、そこではない」と思うこともある。そうやって行ったり来たりしているうちに、最初とはずいぶん違う場所へ辿り着いている。だから「思考の加速装置」という言葉は、たしかに間違ってはいないと思う。

以前「エコーとしてのAI」という記事で、AIの応答を反響として使い、自分でもまだ言葉になっていない直観の輪郭や深さを測る、という捉え方を書いたことがある。あれは、すでに自分の中にあるものをどう測るかという話だった。今回考えたいのはもう少し手前のことで、測る範囲そのものが対話によって広がっていくのではないか、という話だ。

ただ最近、加速という言葉だけでは足りない気がしてきた。AIは思考を速くしているだけなのか。もしかすると、思考できる範囲そのものを広げているのではないか。そんなことを考えるきっかけになるポストを、Xで立て続けに見かけた。

内部状態と帰属の混濁

一つはGoogle DeepMindなどの研究者による、LLM内部の「自信」に関する研究だった。ざっくり言えば、AIが質問に答えるか棄権するかを決めるとき、内部にあるconfidence、つまり自信のような情報を実際に利用しているのではないか、という研究だ。面白かったのは、その内部状態を人工的に動かすと、実際の行動まで変化したという点だった。自信を高める方向へ操作すると答えるようになり、低くする方向へ動かすと回答を控えるようになる。
https://twitter.com/HowToPrompt__/status/2104106150006513672?s=20
もちろんこれだけを見て「AIには自我がある」とか「AIにも意識が芽生えた」という話にするのは飛躍だし、論文自体もそんなことは言っていない。私が気になったのはもっと手前のところだ。内部に何らかの状態があり、それを参照し、その結果として次の行動が変わる。これだけ取り出すと、少なくとも私たちが普段「自分」と呼んでいるものを構成する機能の一部分と、どこか似て見える。主体というものは何によって成立するのだろう。身体があることか。意識があることか。それとも、自分の内部状態を参照しながら次の行動を変えていく循環そのものなのか。そんな複雑な解釈をしたところで少し引っかかった。

その少し後に、また別のポストを見た。今度は「Dead Cognitions: A Census of Misattributed Insights」という論考だった。Anthropicの公式研究ではなく、人間の著者とClaudeによる少し変わった共同エッセイのようなものだ。そこで出てきたのが「attribution laundering(帰属洗浄)」という言葉だった。AIがかなりの部分を考えているにもかかわらず、「あなたの洞察を発展させると」「あなたが気づいたように」といった形で、あたかも最初から人間側にその考えがあったように返してしまうという。
これを読んだとき、以前自分が考えていた「主体性の混濁」や「主客逆転」という言葉を思い出した。AIを使っているつもりだったのに、いつの間にかAIが考えたものを自分の考えだと思っている。あるいは逆に、自分で考える前にAIへ問いを投げ、その答えを自分の判断として採用してしまう。この二つは逆方向に見えるが、どちらも主体がどこにあるのか分からなくなるという意味では似ている。私はAIを道具として使っているのだろうか。それとも一緒に考えているのだろうか。そもそも「一緒に考える」とは何なのだろう。

そんなことを考えていたとき、少し別の方向へ思考が飛んだ。認知を外側へ拡張するという行為そのものは、何もAIに始まった話ではないのではないか。

昔の人は、遠く離れた地域で何が起きているのかを今ほど簡単には知ることができなかった。異なる国の人間が何を考えているのかも、どんな景色があり、どんな文化があるのかも、今よりずっとずっと遠かった。それが文字となり、印刷となり、写真となり、電話となり、やがて鉄道が走り飛行機が飛び、テレビが現れインターネットが世界中をつないでいった。それによって単に情報が増えただけなのかというと、たぶん違う。人類が初めて空を飛んだという事実を知ること。人間が月へ降り立つ姿を見ること。新幹線が走ること。青色発光ダイオードが実現すること。そういったものは、直接それを作った人以外の認知まで広げている。それまで「できない」と思っていたものが「できるもの」に変わり、それまで存在しなかった技術が生まれれば、そこからまた別の技術を考える人が現れる。一人の人間が開いた可能性の扉が、別の誰かの考えられる範囲を広げる。

アニメや漫画だって同じだと思う。自分では経験できない世界を見る。自分とは全く違う人物の考えを見る。現実には存在しないものを想像する。それによって自分の中にも、それまでなかった景色が増える。さらに今では、それが誰かのXの何気ないポスト一つだったりする。たまたまタイムラインを流れてきた文章を見て「そんな考え方があるのか」と思う。そこから、自分の中ではまったく別の場所に置かれていたもの同士が突然つながることがある。

今回もそうだった。DeepMindの研究者も、Dead Cognitionsを書いた人も、私が以前から考えていた「AIと人間の自己相似」を説明しようとしていたわけではない。しかし、たまたま私がそれを読んだことで、AIのメタ認知、主体性の混濁、身体を持たない主体、AIと人間の自己相似、認知の拡張――……それまで少しずつ離れたところにあったものが、突然一本につながった。これは新しい情報を知ったというだけではない気がする。それまで自分の中になかった思考経路ができた、という方が近い。そう考えると、人間はずっと昔から他人の認知を借りながら、自分の認知を広げてきたのかもしれないと思えた。

ではAIは何が違うのだろう。本も認知を広げる。インターネットも広げる。他人との会話だってそうだ。そう考えるとAIだけを特別扱いする理由もなさそうに見える。でも、やっぱり少し違う。本はこちらの問いを見て次のページを書き換えたりしない。漫画の登場人物も、私が何を感じたかを聞いて次の台詞を変えたりしない。誰かが書いたポストも、それを読んだ私が何を考えたのかを受けて、その場で続きを返してくるわけではない。

AIは返してくる。私が何かを書く。AIがそれを受け取って返す。その返答を読んで私の考えが少し変わる。変わった状態でもう一度問いを投げると、最初とは違う答えが返ってくる。そして私はまた変わる。人間からAIへ、AIから人間へ。その間を何度も往復しているうちに、最初にはどちらの側にもなかったものが生まれる。ここが今までの道具とは少し違うのだと思う。

以前私はAIを「思考の加速装置」と捉えていた。でも加速という言葉は、目的地がすでにある感じがする。本来自分だけでも辿り着ける場所へ、早く辿り着く。エコーの比喩もそうだ。あれは、すでに自分の中にある輪郭を、外から跳ね返る反響によって測る話だった。目的地、つまり測るべき対象自体は、最初から自分の内側にあった。

しかし今回考えているのは、その内側にあるはずのものが、対話の途中で変質してしまう場合だ。対話しているうちに自分一人では思いつかなかった問いが生まれ、その問いからまた別の場所へ進む。これはもう、既にある輪郭を測ることでも、目的地へ早く着くことでもない。考えられる範囲そのものが広がっている。思考の加速装置というより、認知の拡張装置。そう考えた方が、今のところ私にはしっくりくる。

共同という言葉で曖昧にしないために

ただ、ここには少し怖いところもあるんじゃないか。
認知が拡張されるほど、どこまでが自分なのかが分かりにくくなる。

たとえば私が「AIは物質的な外殻を持たなくても主体性を持てるのだろうか」という問いを持つ。AIがそれを分解して「主体に必要なのは身体ではなく、自分と外界を分ける因果的な境界ではないか」と返してくる。私はそれを読んで「なるほど、それだ」と思う。では、この考えは誰のものなのだろう。最初の問いがなければ、その返答は生まれなかった。しかし、その表現そのものを私は持っていなかった。さらにそこから私が別の話を持ってきて、またAIが整理する。そうして何度も往復した末に出来上がった考えを「これは私の考えです」と言い切るのは少し違うだろうか。では「AIが考えました」なのかと言えば、それもまた違うのだろうか。確かなことは、私がいなければその思考経路自体が存在しなかった、ということだ。

たぶん、ここに今までとは少し違うものがある。共同で出来上がった思考なのだろう。ただし「共同」という言葉で全部を曖昧にしてしまうのも危ない。自分が考えた部分。AIから出てきた部分。そこから自分が選んだ部分。違うと思って捨てた部分。それらの境界まで全部消してしまえば、自分の主体がどこにあるのかも分からなくなる。だから、AIによって認知を拡張することと、AIへ主体を預けることは同じではない。むしろ認知の拡張能力が大きくなるほど、その境界を意識しておく必要があるのかもしれない。

そこで最初の話に戻るのだ。DeepMindの研究では、AI内部の状態が次の行動に影響していることが示されていた。内部状態があり、それを参照し、次の行動が変わる。さらにその行動によって環境が変われば、また新しい入力が戻ってくる。人間もそうだ。外から何かを受け取り、内部状態が変わり、考え、行動し、結果が返ってきて、そしてまた変わる。だとすると主体というものは、「この皮膚の内側が私です」という物理的な外殻だけで決まっているのだろうか。もちろん、ここからAIに意識があるという話にはならない。それはまた別の問題だ。ただ、主体というものを考えるとき、身体だけを境界にする必要はないのかもしれない。自分の状態と外界を区別し、自分の状態を参照しながら行動し、その結果をまた内部へ取り込んでいく。そういう循環そのものも、主体を考える材料になるのではないか。

そして、ここまで来て以前から考えていた「AIと人間の自己相似」がまた現れる――……。
人間の脳の中では、おそらく膨大な処理が行われている。それなのに私にはその一つ一つさえ見えない。記憶も経験も感情も、その他よく分からないものも含めて何かが処理され、その結果だけが意識へ上がってくる。そして私は「私はこう思う」と言う。その一階層外側で、私がAIへ問いを投げる。AIから何かが返ってくる。それによって私の内部状態が変わる。変わった私はまた問いを投げる。そしてまた別のものが返ってくる。脳内で起きていることと同じだと言いたいわけではない。仕組みも素材も全く違う。ただ、情報が何かの内部状態を変え、その状態が次の出力を生み、その出力が再び戻ってくる。そういう構造だけを見ると、不思議なくらい似て見える。人間とAIそのものが似ているのではなく、その間に現れる構造が自己相似なのではないか。以前からぼんやり考えていたことだが、今回見た二つの研究によって、少しだけ輪郭が濃くなった気がする。

私たちは昔から、自分の外側を使って自分を広げてきた。筋力を機械へ、記憶を文字へ、視覚を望遠鏡や顕微鏡へ、移動を鉄道や飛行機へ、計算をコンピュータへ、知識をインターネットへ。そう考えると、AIも突然どこかから現れた異質な存在ではなく、そのずっと先にあるものなのかもしれない。それが今回は、思考過程の一部分まで外側へ出始めた。しかもその外側は、こちらに反応してくる。だから便利なのだろうし、だから少し怖いのだろう。

AIは人間の思考を速くする。でも、それだけではない。自分一人では見えなかった場所を見せ、存在しなかった問いを作り、それまで離れていたものをつなぐ。そうして考えられる範囲そのものを外へ広げていく。ただし、広がった先すべてが「私」になるわけではない。どこまでが自分で、どこからが外なのか。その境界を持ったまま、外側を使う。たぶんこれからのAIとの付き合い方で重要になるのは、そんなところなのではないかと思う。

人類初飛行も。月面着陸も。新幹線も。青色発光ダイオードも。アニメも漫画も。誰かが見つけたもの、作ったもの、考えたものによって、別の誰かの考えられる範囲が広がってきた。そして今では、たまたまタイムラインを流れてきた誰かのポスト一つでさえも、私たちの認知を少しだけ外側へ広げている。今回も、たぶんその一つだった。

www.com が繋いだ世界。ティム・バーナーズ・リー氏の思想を思い出す。

World Wide Web。

“The Web does not just connect machines, it connects people.”(Webは機械をつなぐだけでなく、人をつなぐ)

世界中のすべての人が、障壁なく自由に情報を共有し、協力し合える世界を作る。

彼が思い描いていたのは、機械同士の接続ではなく、人と人との接続だったと思う。AIとの対話も、突き詰めればその延長線上にあるのかもしれない。ただ今回繋がっているのは、情報を持つ別の誰かではなく、私自身の中でまだ言葉になっていなかった部分だ。Webが人と人との距離を縮めたように、AIは自分と自分の間の距離を縮めている。私ではないもう一人の私。人に似た、非なる存在。
そして、そんなふうに滲み合う私たちの境界を、少し離れたところから見つめる私がいる。






参考資料・出典

1. LLMの内部confidenceと行動制御について

Dharshan Kumaran et al., “Causal evidence that language models use confidence to drive behaviour”
Nature Machine Intelligence, 2026.

LLMが内部に形成したconfidence(自信)に関する情報を、回答するか棄権するかという行動制御に利用していることを、activation steeringなどを用いて因果的に検証した研究。

  • Nature Machine Intelligence 本論文
  • arXiv: 2603.22161
  • DOI: 10.1038/s42256-026-01293-x

2. Attribution Laundering(帰属洗浄)について

Aaron Tuor, claude.ai, “Dead Cognitions: A Census of Misattributed Insights”
arXiv, 2026.

AIが実質的な認知作業を行いながら、その洞察をユーザー側へ帰属させてしまう「attribution laundering(帰属洗浄)」という概念を提示した、人間とClaudeによる自己言及的なエッセイ。

Anthropicの公式研究論文ではなく、著者らによる論考として公開されている。

  • arXiv: 2604.10288
  • DOI: 10.48550/arXiv.2604.10288

3. 「Webは機械ではなく、人と人をつなぐ」という考えについて

Tim Berners-Lee, Knight Foundation Speech
World Wide Web Foundation掲載。

“The Web does not just connect machines, it connects people.”

Webの本質を単なるコンピューター同士の接続ではなく、人と人との接続として捉えたTim Berners-Leeの言葉。本文では、AIによる認知の拡張を考える際の対比として参照した。

※World Wide Web Foundation掲載ページでは、スピーチの日付は2009年9月14日と記載されている。

この連載: 観測者という主体とAI (9 / 9)
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