前回の記事では、EA開発がver.1からver.2へ移行した経緯を書いた。もともとは自分のトレード手法をコードに落とすつもりだったが、機械へ渡そうとした瞬間、自分の中で曖昧に処理していたものが次々に表面へ出てきた。
EAを作っているはずが、自分が相場をどう見ているのかを分解して確認する作業になった。
そうして見直しているうちに、「構造否定フラクタル理論」として以前書いていたものも、少し見え方が変わってきた。理論を否定したわけではなく、輪郭が細かくなってきた、という方が近い。
構造否定を起点に1波を捉え、その波を基準に3波の到達を見る。この考え方自体は変わっていない。
構造を否定した波が、その後の値動きの基準として機能する場面は今も非常に多いし、1波と3波の関係に「整合性」が繰り返し現れることも変わらない。
変わったのは、その前後をどう見るかだ。
なぜその場所で構造否定が起こったのか。同じようにラインを抜いていても、大きく伸びるものと伸びないものがあるのはなぜか。そもそも構造否定は相場を動かす原因なのか。
構造否定そのものが相場を動かしているわけではないと、今は思っている。それは、その前から進んでいた変化が価格の上に現れた瞬間にすぎない。実務上は今も重要な起点だ。そこを境に、それまでの説明が成立しなくなるのは事実だ。
しかし相場そのものにとっては、もっと前から何かが動いていた可能性が高いのではないか。
その変化を表す言葉として、最近は「地形」「風」「波」を使うようになった。
価格そのものは波に例えられる。上昇や下落として見える結果だ。その下に地形がある。中期・長期の移動平均線、特に上位時間足を換算して表示するMAの形状を、地形として見るようにしている。
傾いているのか、横ばいなのか、複数の時間軸のMAが同じ方向に揃っているのか、それとも交差して方向感を失っているのか。
価格はその地形の上を進むという構図だ。
短期MAは、地形そのものというより風向きを先に示すもので、言わば風見鶏だ。
短期が先に反応し、中期、長期へと変化が伝わっていく。ただし短期が向きを変えたからといって、そのまま大きな波になるとは限らない。風が吹いても、地形によって流れ方は変わる。
こう考えるようになってから、相場を見る感覚が以前より立体的になった。構造否定が起きた、1波が成立した、次に3波を測る――という順序だけでなく、その周囲まで含めて見るようになった。地形があり、その上で複数の変化が起こる。短期的な動きが先に表れ、少しずつ方向が揃い、それまで成立していた構造が維持できなくなる。そして構造否定が価格の上に現れる。
「風」という表現は、思っていた以上にしっくりきている。風は直接見えない。木が揺れ、水面に波が立つことで存在を知る。
相場も似ている。
市場参加者の合意そのものは見えない。見えるのは価格、ローソク足、移動平均線といった痕跡だけだ。複数の時間軸でローソク足の方向が揃い、MAが同じ方向を向き、直前まで機能していた構造が破られる――そうした現象を束ねて見たとき、見えない何かが集まったように感じることがあるのだ。
これは以前なら「合意した」の一言で片付けていた部分だ。今はその過程をもう少し連続的に見ている。合意は0から1へ瞬間的に切り替わるものではない。少しずつ密度が高くなり、方向の違っていたものが徐々に同じ向きへ寄っていく。その結果として価格が大きく動く。「風が束ねられる」という表現は、今のところかなり近い感覚だ。
もちろん比喩にすぎない。風という何かが市場の中に実在するわけではない。ただ、ローソク足、MA、構造、時間軸をばらばらの部品として見るより、互いに影響しながら一つの流れへ近づいていく様子を考えやすくなる。
逆に、風が束ねられていない状態もあると思っている。方向感がなく、短期MAが上下を繰り返し、中期も横ばい。ゴールデンクロスもデッドクロスも意味を失い、高値と安値が狭い範囲に密集してどちらにも継続しない。
以前はこれを単にレンジと呼んでいたが、今は少し違う見方をしている。価格形状としてのレンジというより、まだ風向きが揃っていない状態。波が出ていないのではなく、次の波を作るための合意がまだ束ねられていない。この状態を、最近はカオスとして意識するようになった。
ここでのカオスは「めちゃくちゃで何も分からない」という意味ではない。むしろ説明の自由度が高すぎる状態だ。上昇とも下落とも説明できる。小さな波を取れば、いくらでもそれらしい構造を作れてしまう。問題はそこにある。
人間はチャートの中から意味を見つけることが得意だ。見つけようと思えば、かなり多くのものを見つけられる。それは相場を見る上では長所だが、検証では危険にもなる。あとから都合のいい波を選び、そこにラインを引き、結果に合う説明を作れてしまうからだ。
私のトレードスタイルは、いわゆるライントレーダーという分類にも属する。私自身は波形トレーダーを自称しているがチャートに線を引くという意味でライントレーダーだ。
だからこれまでの10数年、チャートに線を引き続けてきた。意味のある線を引こうとして、線に意味を持たせてきた。そうしているとチャートには無数の線が引かれる。それはそのままチャート解釈の痕跡となっていた。
そして多すぎるラインは相場への理解を妨げた。
線の色を揃え、解釈の統一された線だけを残す。それだけでチャートが明瞭になった。
EA開発でこの問題にぶつかった。機械に観測させようとすると、「その波をなぜ選んだのか」を必ず決めなければならない。人間のように、見た瞬間に都合のいい構造へ切り替えることはできない。
そこで今は、構造否定の1波が成立する以前の一部区間を、あえて細かく説明しないことを考えている。旧構造の天井や底から、新しい構造否定の1波が成立するまで。この部分を「カオス波動」として隔離する。波が存在しないわけではない。下位時間足へ降りれば当然そこにも構造はある。だが今見ている時間軸では、あえて再分解しない。説明できないから放棄するのではなく、説明しすぎないために閉じる。
これは自分の中ではかなり大きな変化だった。見えるものはできる限り説明したい、というのが以前の姿勢だった。
今は、説明可能であることと説明すべきであることは同じではないと考えている。観測軸を固定するなら、その軸の外側にあるものまで無理に説明しない方がいい。H4で見ているならH4で読める構造を扱う。H4で説明不能になったからといって、その場で都合よくM5まで下りて細かな波を拾い、H4の説明へ戻すことはしない。必要ならH1やM15へ観測軸そのものを移し、別の検証として扱う。
同じ相場でも、観測する階層によって扱う構造は変わる。フラクタルという言葉を使っている以上、どの時間軸にも似た形が現れること自体は当然だ。だからこそ、どの階層の話をしているのかを固定しなければならない。下位足まで見れば、ほとんどの値動きは説明できてしまう。それでは観測規則ではなく、後付けの説明になる。
これは以前書いた「観測者は系の内部にいる」という話にもつながる。
市場の外側から完全な情報を得ることはできない。常に限られた時間軸と限られた情報から相場を見ている。ならば必要なのは、何でも説明できる理論ではなく、自分がどこから見ているのかを固定することだと思う。
構造否定という考え方は、この意味でも重要だった。価格がラインを越えたというだけではない。それまで使っていた説明が、そこから先では成立しなくなる。どこで説明を捨てるかを決められる。予測のための線というより、観測者側の説明責任を区切る線に近い。
この考え方は、EA開発の中では「観測寿命」や「説明権」という言葉になって現れた。ある構造が生まれても、それが永遠に現在の相場を説明し続けるわけではない。新しい証拠が現れれば、説明の中心は移っていく。以前の構造は消えない。その時点では確かに存在していたし、過去の値動きを説明する履歴でもある。ただ、今の相場を説明する権利まで持ち続けるとは限らない。
こう考えると、「構造」は一本の線や一つの波だけではなくなってくる。生まれる前の段階があり、成立する瞬間があり、有効な期間があり、やがて主役ではなくなって履歴へ移っていく。相場の中に構造があるというより、人間が相場を観測するために構造を使っている。最近はそのことを以前より意識している。
だから、構造否定フラクタル理論という名前にも少し違った意味を感じるようになった。地形があり、その中で風が揺れ、やがて流れが束ねられ、波として現れ、ある地点で旧構造の説明が維持できなくなる。その後、新しい波が一つの構造として整合していく。構造否定は、その一連の現象の中に位置しているように見える。
だからといって構造否定の重要性が下がったわけではない。むしろ役割が明確になったと思う。構造否定は未来を当てるための合図ではないのだ。それまで使っていた世界の説明を、ここで更新しなければならないと知らせる出来事だ。その後の波が整合するかどうかは、また別の観測になる。整合しないなら、相場が間違ったのではなくて、自分が選んだ構造や観測軸を見直す。この姿勢自体は以前からそれほど変わっていない。
ただ、以前よりも「分からない状態」を残せるようになった。ここは大きいはずだ。
分からないなら、分からないまま置いておく。まだ構造が確定していないなら、確定したことにしない。複数の解釈が成立しているなら、そのうちの一つを急いで正解にしない。
EAを作るまでは、これは当たり前のことだと思っていた。しかしコードにすると、どこかで必ず状態を決めたくなる。上昇か下落か。有効か無効か。成立か不成立か。機械に判断させようとするほど、世界を二択へ押し込みたくなる。
ver.2の設計では、そこに意識的に「UNKNOWN」を残している。判断できない状態をエラーとして扱わない。まだ判断する段階ではないという、一つの正常な状態として扱う。
相場は常に説明可能な状態にあるわけではない。説明できない時間があり、説明が競合する時間があり、その後で初めて一つの構造として見えてくることがある。それを全部あとから一本の物語にしてしまえば簡単だ。だが実際のトレードは未来が見えない状態で行う。ならば必要なのは、完成したチャートを綺麗に説明する理論よりも、その時点で何が分かっていて何がまだ分からないのかを扱える理論なのだと思う。
構造否定フラクタル理論は、そこへ少しずつ近づいている。まだ途中だ。地形、風、波という表現も、今後変わるかもしれない。カオス波動の扱いも、実際にEAへ実装して長期間検証すれば修正が必要になるかもしれない。今は言葉を固定するより、観測を続けたいという思いが強い。
そういえば、以前「整合性の正体」という記事を書いた。あのときは、構造否定によって成立した1波と、その後の3波がどう整合するかを中心に考えていた。今振り返ると、あれは整合性の一部分だったのかもしれないと考えるようになった。
価格が整合するということと、観測そのものが整合していることは、本当に同じなのか。構造が変わったあとも、以前の説明を引きずっていないか。判断できない状態を、自分に都合のいい物語で埋めていないか。
最近は、そちらの方が気になっている。
次はもう一度、「整合性」という言葉について考えてみたい。
この連載: フラクタル構造論考察の道筋 (5 / 5)
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