前回の記事で、私は「条件式では市場を語れなかった」と書いた。出来事を切り出すことはできる。しかしその出来事が何を意味しているのかまでは拾えない。
同じ高値更新でも、それが始まりなのか、終わりなのかは、文脈によって変わる。ならば、その文脈とは何なのか。それを考えたとき、私の中で一つの考えが浮かんだ。
市場は、条件ではなく、状態として存在しているのではないか。だとすれば、問題は次の一つに集約される。
状態は、どのように定義されるのか。
境界がなければ状態は存在しない
状態という言葉は、曖昧に使おうと思えばいくらでも使える。
トレンド状態。レンジ状態。過熱状態。調整局面。
それらは多くの場合、後付けのラベルに過ぎない。
重要なのは、その状態がどこで始まり、どこで終わるのかだ。境界が定義されていなければ、状態は存在していないのと同じになる。
この当たり前のことに、EA開発を通して改めて直面した。今までなんとなくやりすごしてきたことが、俄然目の前に立ち上がったのだ。
機械にとって「なんとなく続いている」は存在しない。あるのは、切り替わったか、いないかだけなのだ。
何をもって「変わった」と言えるのか
では、何をもって市場が変わったと言えるのか。価格が上がったからか。下がったからか。ボラティリティが拡大したからか。
どれも一部では正しい。しかしそれだけでは足りない。なぜなら価格は常に動いているからだ。
本当に知りたいのは、その瞬間だ。
それまで成立していた見方が、成立しなくなった瞬間
この視点に立ったとき、状態の定義は少しずつ形を持ち始める。
構造が崩れた時、状態は切り替わる
これまでの観測の中で、私は一つの軸を使ってきた。
構造否定。
それは単なる価格の上下ではない。それまで「この流れで説明できる」と考えていた構造が、もはやそのままでは説明できなくなる地点のことだ。
- 戻り高値を越えた
- 押し安値を割った
こうした出来事そのものではない。
それによって、従来のシナリオが成立しなくなったかどうか
そこに意味がある。
この瞬間、市場は連続していない。明確に別の状態へと移っている。
ダウントレンドからアップトレンドに変わったという結果同士の間には、もう1つその間に2つを繋ぐものがある。
新しいシナリオに切り替わる前には、従来のシナリオが成立しなくなるという状態が必要だ。
例えば、戻り高値を終値で上抜けた瞬間、それまでの下降構造はそのままでは説明できなくなる。
通常、ダウン↔アップの間には調整局面があるが、調整局面に入る前に、まずそれまでの構造が説明できなくなるという状態がある。
その状態があることによって、次に調整局面へと移る。
つまり私がしていることは、市場観測のグラデーションをより細分化しているようなものだ。
連続しているはずの市場に、観測のための境界を与えているに過ぎない。
状態は出来事ではなく、関係で変わる
ここで1つ重要な違いがある。状態は、単一の出来事で決まるわけではない。
価格、時間、位置関係、上位構造との整合。それらの関係の中で初めて意味を持つ。
同じラインの突破でも直前までの文脈で意味が変わる。
- 長い停滞の後か
- 急伸の途中か
- 上位足の合意と揃っているか
こうした言い方をすると「文脈で意味が変わる」ということがどういうことかわかる。つまり状態とは関係だなのだ。
出来事そのものではなく、出来事同士の関係
ここが条件式との決定的な違いだった。
従来の条件式は、ごく簡単に言えば、Aを満たしたらB、Aを満たさなければCといったIFの連続だ。それは結果同士を別の結果へ繋げる方式だった。
しかしそれだけでは市場は語れない。どうしても語れなかったのだ。
状態遷移として市場を見る
状態が定義できるなら、その次に必要なのは遷移だ。ある状態から、どの状態へ移るのか。
- 構造が否定された状態
→ 新しい波が形成される状態 - 波が整合し、伸びている状態
→ 到達点へ近づく状態 - 到達を終えた状態
→ 再びカオスへ戻る状態
このように、市場は状態の連続として捉えられる。ここまで来て、ようやくEAとして扱える形になる。
条件式の羅列ではなく、状態と遷移の集合として。
結果と結果の間にある状態という空隙。これを捉えることが要だった。
定義するということの重さ
ここまで書いておいて言うのもおかしいが、状態を定義することは簡単ではない。
むしろ難しい。
- どこを本質と見るか
- どこをノイズとして捨てるか
- どの時間軸を優先するか
こうした自分自身の観測軸そのものを決める作業だからだ。そして一度定義したものは、機械の中で固定される。
曖昧なままでは動かない。固定しすぎれば現実から乖離する。
相場はカオスとフラクタルの連続だ。このパターンではこうなるが、別のパターンではその通りに動かない。
よく似ているが違うという時、実際に状態定義できるものと、似ているように見えるという錯覚に近いものがある。
全てを捉えることは難しい。しかし一貫した観測軸によって捉えられるものはすべて類に帰属化させられる。
その瞬間、私は手に取るものと捨てているものを分けていたのだ。
灯火の在りか
状態を定義するということは、世界に境界を引くことに近い。
本来、連続しているはずのものに、区切りを与える。それは恣意的であると同時に、必要なことでもある。
空と海の境目が見えなくなる夜に、遠くの灯りがその輪郭をわずかに示すように。
その灯火は、すべてを照らすわけではない。
ただ、どこからどこまでが同じ世界なのかを、静かに教えてくれる。
