ー合意された構造ー
前回の記事では構造否定は始まりに過ぎないと書いた。私の理論の中では、相場は循環するエネルギー場のような構造として捉えている。
MAという地形に沿って波は進む。その波は合意を得ることで大きな推進力を得る。
その波が新たな地形を作り、市場の合意を得て、次の波が生まれる。過去から現在へ至る地形のフラクタルの上で時間と共に波はNの整合性を持って進むのだ。
こうした考え方をチャートに落とし込むことは、抽象論を実務に変える重要なプロセスになる。
特に私の理論の場合、過去から現在へ至るフラクタルという連続性が背景にあるため、過去の合意をどのように観察するかで現在の解釈が変わることになる。
USDJPYW1画像はドル円の週足チャートだ。黒波で描かれているN波動の3波の中で動いている場面である。
これまでは画像で示している重要な高値に対する振る舞いを観察する工程であった。
通常N波動に置いて、その1波高値(2波起点)の高値に対し、3波中の押し戻りがこの1波高値を大きく割り込むことは、市場の合意が散逸しやすくなる傾向にある。
USDJPYW1 with Fib理想は1波高値の水平線ラインにタッチするか、少し差し込むくらいが推進力の維持としては強力になる。
実際はどうなっているかというと3波だけで考えるとその押しの位置は38.2%位置まで差し込んでいる。
この押しの位置だけを見ると、50%~38.2%位置は押し目の位置としては順当なため整合性ある動きになっている。
つまり上位構造としてはその信頼性が崩れやすい状態にあるものの、下位構造では上昇の流れを否定しない構造となっているという具合だ。
これが例えば、緑上昇トレンドラインや黄色200MAを下回るようなことがあると(=23.6%ラインを下回る動き)、これは一旦観察の前提から見直す必要が出てくる。
上昇トレンドの構造否定を観察するフェーズになるわけだ。
しかし現実としては下位構造は上昇トレンド構造を維持していた。これは下位における合意の風が吹いたと言える。波はまだ上昇地形に沿って進んでいるのだ。
次にポイントとなったのは、1枚目の画像にも注釈してある、3波中絡みのWボトム+レンジ構造である。
下位合意を持って上昇し始めた波は、まずこのWボトム構造に対する合意もしくは否定を描くことになる。
ここでは赤切り下げラインが構造否定ラインの1つになる。
このラインと重要な高値に引いた緑水平線の交錯する局所が、合意の交わる場所となった。
W1ローソクにM1ローソクをオーバーラップさせているのでわかりやすいが、このポイントに対して下ヒゲをつけたのだ。
つまり上昇合意である。
この流れを受けての、前回記事159.40付近の観測を進めることになった。
USDJPYH4H4でもWボトム構造が発生している。青水平線は構造否定ラインSとして機能するもので、緑四角の範囲がノートレードで観察していた期間となる。
結果はD1実体を伴った上抜けで、緑切り下げラインも越えた形となった。
それゆえにここからの押し目形成が効いて、さらなる上昇へと繋がった。
構造的には上抜け優位と画像にも注釈しているが、この優位性の根拠は過去の週足レベルの波形構造を踏まえた観測があったからだ。
この週足レベルの波が、支配波と呼んでいるものだ。支配波はその水平線上と支配的角度のもたらす斜線上にその影響を及ぼすものと定義している。
今回は特に黒波3波の起点からその高値までの範囲を今回の観測における支配波として見ている。
この支配波の高値を超えると、水平線上の影響は一定の脱却をして、さらに1つ前の支配波である黒波1波からの流れを汲むことになる。
説明するとさらに展開できることはあるが、要するに過去の波の影響を現在に受ける時間のフラクタルという概念はここから発生している。
だから週足構造に見られたWボトムがH4構造の中で再現んされていることは、私にとって何も不思議ではない。
支配波の影響を受けた継承波はその自己相似を持って整合性を取りに来るからだ。
しかし、そのような理論が充実していたとしても相場の不確実性は制御できるものではない。
自然現象が制御不能であるのと同じように、相場もまた然りである。
そしてこの159.40の攻防は週末であった。
過去には連載の中で、リスクリワードを考えることは管理できる状態であることだと書いた。
つまり現象に対する観測者の役割というものがあるということだ。
トレーダーはその自己規律を持って観測者としての立場を守る必要がある。
週末持ち越しをするなというわけではなく、管理思考それ自体が相場に希望を持ち込まないということでもある。
そんな風にしてただ相場を見ているだけではなく、状況に応じた任務をこなしながらも観測軸は維持しなければならない。
つまり、159.40を実体で抜けるのか、ヒゲでも戻されるのかという視点だ。
USDJPYH4 WeekEnd結果として週末時点ではD1は実体を維持してクローズした。上ヒゲのほとんどないモメンタムの強さがうかがえる状態である。
この事実を観測したら次の観測に移る。
つまりこの実体抜けが維持されるのか、否定されるのか、あるいは押し目形成という合意の承認を取るのかである。
特に週末はヘッドライン次第で週明けの窓開けもあり得るので、維持や否定の変化が現れやすい。
ここで重要なことは、例えば現在のイラン・イスラエル/アメリカの軍事状況のニュースに振り回されてどうなるかばかり気にすることではなく、その結果どうなったかである。
つまり未来を想像せずに、どうなったかの結果を観測する立場に身を置くことだ。
そうすれば精神的なストレスにさらされることもない。
そのストレスを避けるための構造否定フラクタル理論でもあるし、リンクさせた連載記事の内容も理論とは別個のトレーダーとしての能力である。
私たちはこうあるべきだ、などと主語を拡大するつもりはない。
ただ私自身が、この相場の世界で破綻せずに生き抜くために身に着けた術であるというだけの話だ。

“支配波を見る” への1件のフィードバック
[…] 相場を見ていると、多くの人は「抜けるかどうか」に意識を向ける。しかし私が見ているのはそこではない。私が見ているのは、どこに旧構造の合意があり、その合意がどこで否定されるのかという一点である。そして構造否定が起きたあとに、その新しい流れが本当に市場に承認されるのかどうか。相場観察とは、その連続を追う作業だと思っている。今回見ていたのは、ドル円の159.40付近だった。ここは単なる節目の価格ではない。それまで維持されていた説明構造に対して、どこから風向きが変わり、どこで旧構造が否定されるのかを測るための観測軸だった。この場面で大事なのは、「抜けてほしい」と思うことではない。むしろそう思った瞬間に、観測軸は希望の中に溶けてしまう。観測者が立つべき場所は願望の側ではない。実体で構造否定が起きたのか、それともヒゲで戻され、まだ旧構造の内側に留まっているのか。まず確認すべきなのは、その事実だけである。構造否定フラクタル手法において重要なのは、価格が上下したことではない。重要なことは、これまで機能していた説明が、もはや成立しなくなる地点がどこかということだ。その意味で、構造否定とは原因ではなくすでに内部で束ねられていた風が、価格という波に可視化された結果にすぎない。つまり、先に起きているのは市場参加者の合意の変化であり、価格の突破は、その痕跡として現れている。そういう観測思考で見るのだ。だからこそ、実体で抜けたかどうかを見る。ヒゲではなく実体を見るのは、そこにこそ一時的なノイズではない合意の痕跡が残るからだ。特に上位足実体でその否定が確認されるなら、それは単なる瞬間的な揺れではなく、観測軸の切り替わりとして扱う価値がある。ただし、ここで終わりではない。むしろ、構造否定は始まりにすぎない。多くの人はブレイクを結論だと思っている。しかし私にとっては、実体での突破は結論ではなく次の観測の入口になる。構造否定の1波が見えたなら、次に見るべきはその波が市場に承認されるかどうかだ。本当に見るべきなのは、抜けた事実そのものではなく、抜けた後にその上で価格が維持されるのか、押し戻されるのか、あるいは押し目を形成しながら新しい合意として定着するのかである。ここに、1波と3波のあいだにある本質がある。構造否定の1波は、ただの初動ではない。それは旧構造を破り、新しい説明が成立し始めた起点である。そして、その1波が本物であるなら、相場はやがてその等倍やFEに向かって整合を取りに来る。私はこの自己相似の運動を、波が自らの整合性を回収しにいく運動として見ている。だが、その整合に向かう過程では、必ず揺り戻しが入る。だから抜けたあとにすぐ飛びつくことよりも、押しが入ったときに、それが単なる否定なのか、それとも新しい合意を承認する押し目なのかを見る方がはるかに重要になる。押し目とは、安く買うための便利な形ではない。押し目とは、新しい構造が市場に受け入れられたかどうかを試す確認の場だ。その押しの中で、短期MAが再び風向きを示すのか。価格が合意帯の上に復帰し、その復帰が維持されるのか。旧構造へ沈み直さず、新しい地形の上で波が落ち着くのか。こうした観測を通してはじめて、構造否定の1波はそれまでの支配波が持っていた構造を否定する継承波としての意味を持ち始める。ここで大切なのは、未来を決めつけないことだ。観測者が握るべきなのは、予測ではなく観測軸である。どうなるか、ではない。どうなったか。この姿勢に立つだけで、相場との関係は大きく変わる。ストレスが減るのは当然だと思う。なぜなら、まだ起きていない未来を希望と共に握りしめず、すでに現れた事実だけを材料に次の観測へ進めるからだ。相場は、答えを急いではいない。急いで結論を欲しがっているのは、たいてい観測者の側だ。時々見透かしたようにこうなるだろうと思える事があっても、それが事実として定着するのが予想よりもずっと後になるのは、そこに観測者の希望が溶けているからだ。だから私は、抜ける前に騒がない。抜けたあとにも、それだけで結論にしない。旧構造がどこで否定されたのかを見て、その否定が上位足実体で維持されるのかを見て、さらに押し目形成によって新しい合意が承認されるのかを見ていく。その連続の中でしか、波はただの値動きではなくなる。それは風の痕跡となり、地形の上を伝わる自己相似の運動として姿を現す。構造否定とは、終点ではない。それは、新しい合意が本当に市場に根づくのかを観測するための、最初の可視化にすぎない。続編記事はこちら […]