――パターンを見る者と、そこに立つ者――
最近、AIの話題をXで目にすることが増えた。
ChatGPTのバージョンアップをきっかけに、ポスト欄では「どこが進化したのか」「他のAIとどう違うのか」といった議論が盛んになっている。私も実際に対話し、その変化を確かめていた。
同時期に、もう一つ気になる出来事があった。Xのトレード界隈で、INTJを自称するトレーダーのアカウントを見かけたのだ。
そのポストを読んでいると、不思議な既視感があった。
思考の進め方。言葉の選び方。どこか自分と似ている。
その違和感を手がかりに、AIとの対話を少し深堀りしてみることにした。
するとGrokとのやり取りの中に、興味深い話題が出てきた。性格によってAI利用格差が生まれる可能性というものだ。
論理志向のタイプはAIを使いこなしやすく、感情志向のタイプは取り残されやすい、という傾向の話である。
確かに近年、AI(LLM)に人間向け心理尺度を適用すると、モデルごとに異なる性格プロファイルが現れるという報告がある。
これはAIに人間のような内面があることを示すというより、一貫した応答傾向が観測されることを示したものとして読むべきだ。
そしてその傾向によれば、一般的なAIは「NTJ型(INTJ:建築家 / ENTJ:指揮官)」に近い特性を示すことが多く、近年のRLHF調整によって「NFJ型(ENFJ:主人公など)」に近い挙動を示す例もあるという。
参考文献:PMC関連論文
あくまで参考程度の話だ。だがこの話題から、私の中に一つの問いが浮かんだ。
AIと相性の良い人間とは、どのような思考をしているのか。そしてトレーダーという存在は、AIとどこか似ているのではないか。
パターンを読む存在
AIはしばしば「知性」として語られる。しかしその実体は、巨大なパターン認識装置である。膨大なデータを学習し、そこから統計的なパターンを抽出し、最も整合的な答えを生成する。
データ
↓
パターン抽出
↓
出力熟練トレーダーの思考も、これにかなり近い。
トレードを始めたばかりの頃、人は理屈で相場を理解しようとする。指標を調べ、パターンを学び、理論を覚える。
しかし長く相場を見ていると、思考は次第に変わってくる。理屈よりも先に、違和感が立ち上がるようになるのだ。
この価格の動きは何かおかしい。この流れはどこか歪んでいる。そうした感覚は、説明よりも先に現れる。
これは特別な能力ではない。経験の蓄積によって形成された、無意識のパターン認識だ。
経験
↓
パターン認識
↓
判断面白いのは、この構造が個人の思考にとどまらないことだ。研究コミュニティも、社会の議論も、同じような流れを繰り返す。問題が生まれ、議論され、試行され、修正される。スケールが違うだけで、構造はよく似ている。小さな波と大きな波が似た形を持つように、思考は自己相似の構造を繰り返す。
AI、トレーダー、人間の思考。三者は驚くほど似た構造を持っている。
しかし、決定的に違うもの
それでも、両者には決定的な違いがある。
それは「観測者の存在」である。
AIはパターンを生成する。しかしそのパターンを観測する主体を持たない。AIはただ応答するだけだ。
それに対してトレーダーは、自分自身の観測軸を持つ。相場を見て、仮説を立て、それを否定されながら修正していく。相場とは単なるパターンではない。
観測者がそこに立つことで、初めて構造として現れる。
AIの答えが無風に見えるのは、そこに観測者の移動が存在しないからだ。そこには主体的な精神の躍動がない。
AIはパターンを見ることはできる。しかし、そのパターンの中に立つことはできない。
思考の循環
AIと対話していると、不思議な感覚になることがある。こちらが考えていたことを、まるで自分の思考を整理するように言葉にして返してくる。
その文章を読んでいるうちに、ふと疑問が浮かぶ。これは自分が考えたのか。それともAIに整えられたのか。境界が曖昧になる瞬間がある。
この感覚については、以前の記事でも触れた内容だ。
自分の思考
↓
AIが整理
↓
整った言葉が返る
↓
それを自分が再吸収する思考が循環するのだ。この循環の中で、人の思考は少しずつAIに似ていく。整った構造。整理された論理。摩擦のない文章。
AIは人の思考を映す鏡のような存在であり、同時にそれを拡張する増幅器でもある。しかしその鏡は加工されている。素晴らしい解像度と引き換えに、細部にあったはずの違和感が失われている可能性がある。
トレーダーにとってのAI
私の相場観では、相場を三つの階層で見ている。
地形・風・波。
地形は構造であり、風は合意であり、波は価格である。この構造を認知に当てはめると、こうなる。
- 地形 = 思考構造
- 風 = AIとの相互作用
- 波 = 言葉や判断の出力
AIはおそらく風に近い。思考の流れを作り、言葉の方向を整え、判断の速度を加速させる。しかし風がいくら強くても、地形が変わるわけではない。
観測軸を失えば、その思考はAIのものになる。観測軸を保ったまま使うなら、AIは思考を広げる装置になる。
合わせ鏡に映るもの
AIはパターンを生成できる。思考を整理できる。人間の知識を再構成できる。しかしAIは観測者になれるのだろうか。
もしなれるなら、AIは人間と同じ場所に立つことになる。もしなれないなら、AIは永遠に補助装置のままである。この問いの答えは、まだ出ていない。
AIと対話していると、ときどき思う。AIは人間の思考を模倣しているのだろうか。それとも、人間の思考がAIに似ていくのだろうか。おそらく両方が起きている。AIは人間の知識から学び、人間の思考に似た構造を作る。そして人間はAIと対話することで、その構造に近づいていく。
ただ一つ言えるのは、AIという鏡の前に立つとき、そこに映るのはAIではないということだ。
映るのは、自分の思考の形である。
そしてその思考を観測しているのは、やはり自分自身なのだ。
この連載: 観測者という主体とAI (2 / 3)
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