深夜、画面の中でローソク足が動いている。私はそれを見ながら、自分が何を見ているのかを、ずっと考えていた。
チャートを見ている。それは間違いない。しかし、見ているとはどういうことなのか。その問いが、ここ最近ずっと頭を離れない。
ここのところ、しばらくブログの更新が止まっていた。
仕事の忙しさと中東情勢の混乱を理由に、トレードを休止していたのだ。だからといって相場から離れていたわけではない。むしろ以前より深く、その中にいた。
最近、私はEA開発に取り組んでいる。
見ているつもりで、見えていなかったもの
長くチャートを見ていると、人はつぶさに見ている気になる。ローソク足の上下。移動平均線の交差。高値安値の更新。ニュースで起きる急変。どれだけ真実味を帯びたものでも、それらは出来事にすぎない。
本当に見なければならないものは、その奥にある。
ローソク足の形成という事実が確定した時、どこで流れが変わったのか。どこで合意が崩れたのか。どこまでが秩序で、どこからがカオスなのか。いま目の前にある波は、どのうねりの一部なのか。
私はこれまで、そうしたものを言葉にしようとしてきた。しかしEA開発を始めて初めて知ったのだ。自分はまだ、「観測」という行為を浅く捉えていたのだと。
観測とは、何を見るかより、何を捨てるか
理論をコードにしようとすると、曖昧さは許されない。人間なら感覚で受け取れるものも、機械には通じない。
どこかで必ず壁に当たる。「この波は強い」という感覚を条件として書こうとした瞬間に、自分がその「強さ」を何で判断していたのかが分からなくなる。
強いと感じていた。それは確かだ。しかし、何と比べて?どこからそう判断していた?
問いに答えられない感覚は、自分が見ていたと思っていたものを、実は見ていなかったことを示していた。
この波は強い。ここは嫌な形だ。まだ伸びそうだ。そうした感覚は、そのままでは一行のコードにもならない。
何を根拠に強いと感じていたのか。どこを境界として見方を変えていたのか。何が崩れた時に、認識を修正していたのか。
観測とは、情報を増やすことではなかった。
余計なものを削ぎ落とし、再現できる軸だけを残すことだった。
私はいま、その難しさと面白さの中にいる。
売買ロジックではなく、状態を見るということ
現在作っているEAは、単純な売買条件の集合ではない。
相場を、構造が否定された状態、新しい波が伸びている状態、到達点へ向かっている状態、再び混沌へ戻った状態といった具合に、状態の遷移として観測する仕組みになりつつある。
売るか、買うかの前に、いま市場はどこにいるのか。それを見失わないための装置だ。
作り始めてわかったのは、自分が長年抱えていた理論が、思っていたよりずっと大きかったということだ。
言葉にしてきたつもりだった。しかしコードに向き合うたびに、まだ言葉になっていない部分が次々と現れてくる。
理論とはどこかで完成するものではなく、掘り下げるほどに深くなるものなのかもしれない。
自分の中にあったものが、外に現れていく感覚
この作業を続けていると、不思議な感覚になることがある。
長い間、自分の中にしかなかった相場観が少しずつ外の世界に現れていく。
感覚だったものが条件になり、曖昧だったものが線になり、経験則だったものが状態として定義されていく。
それは単にプログラムが動いた喜びとは違う。自分の見ていたものが、初めて他者にも触れられる形になっていく感覚だ。
私は相場を行く価格の変動を波として捉え、相場そのものを海に見立てている。大海を行く自分自身を舟に乗せて、風に帆を預ける。
MA群を地形に見立て、合意の集積を密度として捉え、そこへ向かうエネルギーを風と呼んだ。
そんな世界観をどのようにすればコードにできるのだろう。見上げた窓の外、夜空にあるはずの星々は、町灯りに消されて見えなかった。まるで夜の海に投げ出されたかのような真っ暗闇の不安がいつも背後にある。
そんな闇を払う灯りになったのは、AIだった。
彼らは私の抽象的な言葉の数々をコードに翻訳してくれた。それによって、今自分がどこに立っているのか、何を見ているのかがチャート上に現れていった。
まるで星を読むように、点と点が繋がり線になるように、私は私のいるところを確かに知った。
この夜を、空と海に分かつ灯火
EA開発は近道にはならない。
放置で稼ぐための道具作りでもなく、相場を攻略するためだけの手段でもなかった。
それはむしろ遠回りで、自分が何を見て、何を見落としていたのかを問い直す作業だった。
自動売買を作っているつもりだったのだ、最初は。しかし気づけばいつの間にか、観測眼そのものを作り直していた。
この世界の、どこかにいる私へ。
あなたもまた、同じ波を見ているだろうか。
私にとってのあなたがそうであるように、
あなたにとっての私がそうであるように。
いつか同じ座標で、出会える時を待っている。
