愚か者のFX-8-

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メンタルの問題に際し、私の中にあるいくつかの問題点を明文化する。

  • 待つべきところで待てない
  • 小さな含み損さえ胸を締め付けてしまう
  • ストップの位置を後から変えてしまう
  • 膨大な含み損になってから最後に損切りしてしまう
待つべきところで待てないというのは、待つべきポイントが明確化されていない、あるいは曖昧な状態になっているルールがあるからだと仮定する。
ルールの明確化を目指すにあたっての障害は、複雑すぎるルールでは自分自身が把握しきれず、意識し続けることはできないという点だ。
私のトレードスタイルはダウ理論に基づく波動観測と移動平均線や水平線、トレンドラインといったラインによる分析と波形認識に依るところが大きい。
こうした分析が外れることは経験を積んできて徐々に減ってきていると実感している。分析の正誤としては特に方向感の合致と短距離長距離目標の推測と実現した波動の相違で判断している。

この分析自体には大きな問題はないが、エントリーポイントが複雑化している。
  • 方向に合わせた移動平均線のGC/DCの成立時
  • ライン上下限にタッチした際のローソク足のプライスアクション
  • 波形認識上の短期目標が見えている場合の飛び乗り
これらのエントリーポイントの内、最大の要素であり最優先項目は移動平均線の在り方なのだが、プライスアクションと波形認識上の飛び乗りという2つのエントリー手法は、移動平均線のGC/DCに頼らない形でもある。
まったく無視できるわけではないが、いわゆる例外的なパターンがあるために、待つべきところで待てないという状況の下地ができてしまうのだ。
GC/DCを唯一絶対の根拠にしていればこの問題も解決は難しくはなかったと思われたが、スタイルが決定づけられた時、すでにこのような形になってしまっていたのだった。
この問題の解決にあたっては、優先順位と根拠の積み重ねをチャートから取り出すことで対応できる。
例えばDCしているのに買いで入りたいと思う時、どのような波形認識を根拠にしているのかを書き出す。
ダウ理論上のトレンド継続方向への順張りなのか逆張りなのか。第何波なのか。リスクリワードに問題はないか。
トレードの鉄則となるダウ理論による分析がまず第一で、いずれの形にせよトレンドができなければいけない。つまりローソク足3本でできるトレンドでもトレンド継続が確認できることを忘れてはならない。
Nの波動が見えれば目標値も想定することができる。その目標値のMAX値を波形認識上の想定ラインと合わせて調整することで決済位置を根拠に従ったポイントに設定できる。
そして波形認識やプライスアクションで入るということはストップの位置も明確化できるということなので、その位置から見た決済予定位置、すなわちリスクリワードも確認できる。
要するになんとなくではエントリーしないということをいかにして自分に律するかということでもある。

普段の会社での仕事を例にとって言えば、作業要領書やマニュアルに従った業務をすることが、トレードにおけるエントリーの仕方と同じである。
むしろ何かトラブルが起きた時、ミスをしてしまった時にどうするかが大事でここをおろそかにした仕事は問題が拡大化する傾向にあるものだ。
すなわち私の中の問題点であるストップの位置を後から変えてしまう点や耐えきれなくなって最後に損切りするということがここに当たる。
製造工場や工事現場ではこうした時に明確化されたあるルールがある。「止める・呼ぶ・待つ」である。
このうち特に大事なのが最初の止めるである。まずいエントリーをしそうになった時、何か過ちを犯しそうになった時にまず止めるということである。
最初に止めてしまえば後のことはすべて未遂に終わる。トレードにおいて未遂で終わるということの価値はとても大きい。

私が実践に取り入れていることは、赤ランプの設置と拍手を叩くということである。
赤ランプはLEDライトでスイッチを押すと赤ランプが点灯するようになっている。このランプを押せないようなときやさらに切迫しているときは、パン!と一回手を叩くことにしている。
目と耳で状況をリセットしようという試みである。このどちらもできない時には頭の中でこれらをイメージする。
赤ランプはストップするというイメージの最たるもので、脳内に響きやすいイメージだ。拍手については邪気を払う神道上の儀式に通じるもので、日本人の私には精神的にもその意義がなじむ行為だ。
こういう取り組みをするようになったことで待つべきところで待つことができるようになったり、明確な根拠と決済目標を設定したトレードによりリスクリワードが管理できるようになっていった。


最後に残った問題として、小さな含み損でさえ胸を締め付けられてしまうというものがある。
数千円程度の含み損でも動悸がする。夜も安眠できないというようなことで、これもまた根深いところにその原因があった。
数千円程度で収まる時もあれば万を超える時もあるのだが、いくらかということ自体はあまり大きな問題ではなかった。それよりも間違いを犯してしまったのだという事実を突きつけられることに耐えがたいのだった。
私はトレードで実現したい夢がある。その夢は遠大で遥か遠くにある。その実現のためには膨大な成功トレードを積み重ねなければならない。つまり「失敗は許されなかった」のだ。
これが楔となって私の心を支配していた。

トレードを始めたての頃に聞いた話で、プロトレーダーを名乗るラインとしては月に1000pipsというものがあった。
数千円の口座残高で数百円の上下に一喜一憂していた頃の自分にとって、1000pipsはあまりにも遠い場所にあった。プロになりたいというわけでもなかったが、それが1つの大きな基準として自分の中に刻まれたのだった。
もちろんこの1000pipsというのはトレードスタイルの違いやロットの張り方などで大きく変わってくるものだが、要するにそれだけの実力が伴っているかどうかということだと理解している。

この目標に向かうに当たっては、会社勤めの傍らのトレードで達成するのはなかなかに困難な道のりだと思った。私は4H足をメインにしているので週に1、2度のチャンスを確実に仕留める必要がある。
そして分析結果に執着せずに、目の前の現実に従ったトレードをするという柔軟性が必要だった。

こうした困難な目標が人生的にもトレード的にも共通化してしまっていたことで、数千円の失敗も許されない心理的負荷を自らに与えていたのだった。
これを改善できるようになったきっかけは、トレードと別のところにあった。普段の生活の中にあったのだ。

トレードを初めて10年くらい経つ。その中で実家から出て1人暮らしをするようになった。自分の金銭感覚もより鋭敏になった。月々の支出や収入を把握するようになったことで、お金に対する考え方が変化した。
数千円は普段の買い物で日常的に消費する額なのだ。数万円でさえ何か家電や家具を変えようと思えば消費する。そういうことを日常で繰り返しているにも関わらずトレードの中ではその損失が容認できないという。
その矛盾点にようやく気付いた時、考え方が変わった。

私は何か特別なことをしているわけではない。自分の人生を救い上げるような遠大な目標をもっていても、その過程は実にシンプルで小さなことの連続だった。
普段の生活の中での金銭の流入流出などよくあることで、本質的には何も変わらないのだ。
目的が手段の中に溶け込んでしまっていたのだった。そうしたことに気づいたとき、含み損を許容できるゆとりが生まれた。
今までの動機が嘘のように小さく矮小化された。動じなくなった。いくらかの失敗など気にしなくていいのだ。いい時もあれば悪い時もある。収入を得ることは難しくないのだから何も心配いらないのである。

トレードは特別なことではない。1000pipsのトレードは難しい目標ではあるが、その過程は大それたことではない。大したことではない。
普段の仕事でマニュアル通りに作業するように、エラーが出たときに適切に対処するのと同じようにやることなのだ。

トレードは神聖な行為ではない。私を救い上げることを命題にしているかのような大それた行為ではない。それは言わば、ただのシステムだ。
システム通りに動くことのどこにも特別なことはないのだ。
私はシステムの構築者でその実践者であるだけの、私自身さえもがシステムの一部であるというだけのトレーダーだ。
それは特別なことではないのだ。


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