相場が過熱しているとき、まず見るべきもの――過熱は相場ではなく、自分の行動の変化として始まる――
長い間相場を見ていると、トレーダーたちの間に共通した「風」が吹く時があることに気づく。
その風は遠くから静かに吹き始め、次第に強くなって、今ここに吹いているのだという実感をもたらす。
そして、その風を求めて人々が集まる。
どこから吹いてきた風なのかも分からないまま、帆を預けてしまう。
その心理は、「自分だけでも助かりたい」とか、「抜け駆けして儲けたい」といった形で、チャート観察を止めた瞬間に顔をのぞかせる。
それは他人事ではなく、私自身の中にも確かにある、どうしようもないくらいの、情けないくらいの小さな自分の姿だ。
この風に乗っている間は相場を見ているようでいて、その実は相場にちりばめられた人々の感情を追認しているようなものだ。
判断を相場ではなく空気に委ね、責任の所在が曖昧になってしまう。
出口も分からずに進む道に、安寧などあろうはずもないのに。
だから私は、相場の過熱局面を危険視している。
過熱とは、相場の値動きより先にこちらの判断が熱を持つ状態だ。
その熱は、チャートではなく自分の行動に最初に表れる。
相場が過熱していると感じる時のピリつきを、肌で覚えているだろうか。警戒が、緊張として伝播していくその様を。
こういう局面では「買えるか」「売れるか」ばかり考えがちになるが、本当に考えるべきは逆で、「買えない」「売れない」を考えたほうがいい。
いつもよりチャートを頻繁に開いている。
普段見ない時間足を見始めている。
そう気づいた瞬間には、もはや正常ではない状態になっている。
それは相場の問題ではなく、自分の状態が崩れ始めているということだ。
しかしそんな自分の姿に気づけたなら、まだ冷静さを失ってはいないといえる。
安易に、だから大丈夫とも言わない。分かっていてもやってしまうことはあるからだ。
こういう時は、自己客観視してみたらいい。
情報を探し始める自分。
同じ考えの人を見つけて安心する自分。
買い場・売り場を探し始める自分。
そういう自分の全てを、真正面から捉えてみればいい。
そこに主体性はないのだ。自らの手に意志を取り戻せるまで、トレードなどしてはいけない。そう刻むのだ。
何も難しい局面で難しい分析をして、難しいトレードをする必要はない。
シンプルに考えればいい。
ダウ理論の高値安値切り上げは、そのままトレード心理に転換できる。
上がったら買う、下がったら売る。
これは負ける。
上がって下がったら買う。
これでも負ける。
上がって下がって、また上がったら買う。
それでいい。
そしてそれでも負けたら、仕方ないと言えばいい。
これが凡事徹底ということの揺るぎない価値だからだ。私はそう信じてきた。
だから相場の過熱に当てられて、自分を差し出しそうになる時に確認することもシンプルでいい。
・自分の行動:チャートを開く頻度・見ない時間足を触り始めたか
・自分の言葉:「買えるか」に寄ってないか/「買えない条件」を言語化できているか
・自分の手順:ダウの確認まで待てているか(上→下→再度上の確認)

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