いくつかの武器を得たと思った。未知の世界の荒波を乗りこなせると思った。若さとは勇気と無謀を表裏にした剣を持って、そのどちらの刃を向けているのかを知らずに戦う事だった。
世間がNISAや株取引によって資産形成をしようという風に背中を押されている時、自分もまたその内の一人だった。その当時の自分には株にかける資金もなく長い間の運用を我慢できるだけのこらえ性もなかったから、その目は自然と為替取引に向かった。
株取引については多少の知識はあったものの、為替取引となるとまったくの未知の世界で、そのよく分からなさへの好奇心と恐怖心が私をその世界へ駆り立てた。新しい扉を開けるのではないかという期待がそのリスクを綿菓子のように軽んじた。
当時の記憶をたどると、トレード手法を紹介した本を読んでその中から気になったものを選んだのが始まりだったと思う。移動平均線を表示させて、RSIを表示させていた。拙いながらもトレンドラインと思しきものを引いて、何かチャートの真実を掴んだ気になっていたのだった。口座に振り込んだ5000円ばかりの資金を元にして、数百円の損益に一喜一憂した。その内にもっと勝ちたいと思った。1万円、3万円と資金を追加して気づけばもっと環境を整えたいと別の証券口座を開き、MT4を利用できる楽天証券に環境を整えた。トレードに関する本を何冊も買い込んでは半端に読み流し、YouTubeの動画を見て日夜知識と技術の習得に勤しんでいた。
その内に出会ったライントレードというものが転機だった。線を引くという行為のシンプルさが気に入った。よく分からない計算式にお金を預けるよりもすべて自分の才覚で結果を出すという行為がとても分かりやすかったのだ。
水平線を引く、トレンドラインを引く、それだけの物としてしか見ていなかった線に、いろんな意味を持たせることができた。そうしているうちに値動きが少しわかるようになり、やがてチャートパターンという物を知った。
WトップやWボトムと呼ばれているものだった。たくさんの種類がありとても覚えきれなかったし、その過程でフィボナッチを知り、通貨ごとの性質の違いもおぼろげながら見えてきた。未知の世界に小舟を出した私はだいぶ上等な船に乗り換えることができたと思った。すべてが順調でこのままトレードを続けていればいつかは大金を手にすることもできるだろうと思った。
けれども当時の私は無知であったし、とても無謀であった。そして何が足りないのかもわからず、どうして負けるのかもわかっていなかった。分かった気になってそれをなおざりにして次の戦いへ挑んだ。負けて当たり前だと思ったしいくつか負けても次で勝てばいいと思っていた。資金管理をしていれば、手じまいのポイントを予め設定していれば大丈夫だと思っていた。
実際の所、イグジットのポイントだけは必ず決めていたので急激な値動きの変化があっても大きな損失を被ることはなかった。それだけは唯一身に着けたスキルだった。
結局のところ私がこうして勝ったり負けたりしながらトレードをしていて、確かに身に着いたと言えるのはそれだけだった。自分がどんな武器をもっているのかも、どう扱えばいいのかもわかっていなかったのだ。
日増しに口座に投入する資金は大きくなり、気づけば200万円の資金を元にして5~10万円のトレードをしていた。1日で日給換算で何日分もの勝ち負けを繰り返した。大きく勝てば数万円の利益を得ることもあった。イグジットだけはしっかり決めていたから大負けはしなかったが、小さな負けがいくつも積み重なっていった。月単位で数十万の損益があった。300pipsを超える大勝も経験した。恐怖と興奮が常に隣り合い仕事中も気になって夜も眠れなくなった。仕事で夜勤をしていたこともあり、体調不順から不眠症にもなった。ひと月を超える塩漬けもしたし、少しの値動きに不安を募らせ下血もした。当時の私の勝率は45%程度だった。どの程度の勝率がいいかは議論のあるところだが、明らかに自分の手法と資金においては先細りするしかないような散々なものだった。55%分のストレスでは考えられない精神的負担があった。45%の中の半分は大きなストレスを抱えたトレードだったと思う。
この画像は記録を付けるようになった2018年から一時撤退した2020年までの記録だ。分かる人にはこれがいかに酷い記録であり、当時の私の精神状態までもが手に取るように分かると思う。年を重ねるごとにのめり込み大勝ちもすれば大負けもした。しかし過度なトレードが増えて待ち切れずにエントリーしたりイグジットをするから保有期間も短くなっている。手に負えなくなったものは塩漬けにして祈りをささげている。そんな苦労の果てに1取引当たりの平均損益はたったの0.3pipsであった。そんなトレードを最終年には1500回も繰り返していた。それでどうにかやっていけるほどのメンタルを私は持ち合わせていなかった。
ある時、このままではいけないと思った。資金を失う前に足を洗うことにした。そしてその通りにできたことが当時の私の英断だった。最終的な収支は数十万円のプラスで終えられていた。その後は地道に仕事を続けていたがFXへの渇望は消えなかった。自分に足りないものがなんだったのか、どうすればよかったのかを自問自答した。そうして数年が経ち、再び舟を出そうと思ったのは、今の自分が当時の自分とは変わったと思ったからだった。
物事への考え方や当時見えなかったものの発見、その関わり方など主に精神面での変化が最たる理由だ。私に足りなかったのは精神面での成長だった。
コメントを残す