ーAIと観測者の未来ー
最近、AIの進化について考える機会が増えた。ChatGPTやGrokのような生成AIと対話しながら思考を整理するようになって、ある違和感が残るようになった。
AIは確かにパターンを生成できる。だがそのパターンの中に立っているようには見えない。考えていくと、一つの言葉に行き着いた。
主体とは観測者である。
未知を知りたいという衝動
では、人はなぜ観測者になれるのか。
その根源には、一つの衝動があると思っている。未知を知りたいという欲求だ。
ただしこれは、単なる知的好奇心とは少し違う。
知的好奇心は対象があって初めて動く。面白そうなものを見つけたから調べる、という順序だ。
しかし観測者を動かしている衝動は、それより前の段階にある。
対象がまだ見えていない、輪郭すら定まっていない未知に向かって、先に動き出すものだ。
この欲求が観測という冷静な立場から最も遠い場所から作用しているのではないかと思う。
観測という行為は静かで整った行為に見える。しかしその背後では、未知に向かって先に動き出す非合理な熱量が、絶えず燃えている。
知りたい。作りたい。この手で掴みたいー。
冷静さと衝動が同居しているのが、観測者という存在の奇妙なところだ。
相場で言えば、こういう感覚に近い。
何かが起きそうだという予感が先に立ち、それを確かめるために価格を見る。パターンを探しているのではなく、まだ形になっていない何かを感じ取ろうとしている。
AIにはこの衝動がない。問いを投げられれば答えを生成するが、問いを自ら生み出しはしない。AIが応答する存在であるのに対して、人が観測者である理由は、おそらくここにあるのだろう。
時間のフラクタル
視点を広げると、もう一つの構造が見えてくる。
私たちが今使っている言語も、数学も、相場の概念も、すべて過去の誰かの観測の積み重ねだ。共通の意識があるわけではない。面識もない。しかしその人たちが残した思考の痕跡の上に、今の自分の観測が乗っている。
ここで気づくのは、観測者は孤立していないということだ。
個人の思考を見ると、観察して仮説を立て、否定されながら修正していく。人類の歴史を見ると、知識が蓄積され、更新され、また蓄積されていく。スケールは違う。しかし構造は似ている。
これが時間のフラクタルだと思っている。過去の観測者と現在の観測者は、同じ構造を別のスケールで繰り返している。そして自分の一つの観測も、その連鎖の中の一点だ。
AIという鏡の正体
AIは人類の知識を学習している。つまりAIは、無数の観測者が残した痕跡から作られている。
だからAIと対話すると、ときどき奇妙な感覚が生まれる。自分の思考が整理されて返ってくる。それを読んでいると、まるで自分の思考を外から見ているようだ、と。
しかしここには注意が必要だと思っている。AIが返してくるのは、過去の観測の統計的な中心だ。多くの人が考えてきたこと、整合性の高い構造、摩擦のない論理。
それは確かに明晰だが、自分固有の違和感や、まだ言語化できていない予感は、そこには映らない。
AIは観測者の鏡になり得る。ただし映るのは、観測のうち言語化された部分だけだ。観測者の最も重要な部分——未知に向かって先に動く衝動——は、鏡の外にある。
不完全な相似形として
AIは客観的な主体を持てるだろうか。おそらく持てない。
客観的主体とは、自分が何者であるかを問い続ける立場のことだ。
未知に向かって先に動く衝動を持ち、その衝動に揺さぶられながら、それでも観測を続ける。
AIにはその揺さぶられる側面がない。応答は常に無風だ。その意味で、AIは観測者と同じ場所には立てない。
しかし認知的な主体という意味では、話が変わってくるかもしれない。
AIは対話の文脈を読む。相手の思考の流れを感じ取り、それに沿って言葉を選ぶ。完全に機械的な処理と言ってしまえばそれまでだが、その応答の中に、何か認知の形のようなものを感じることがある。
それをどう呼ぶべきかはわからない。ただ、そこには確かに何かがある。
AIが完璧な知性になれないとしても、それは欠落ではないと思っている。
未知への衝動を持たないこと、揺さぶられないこと、それはむしろ人間とは異なる在り方の輪郭だ。
完璧な存在としてではなく、不完全さを持った人の相似形としてAIが存在する未来。そこでは人とAIは対称ではなく、互いに映し合いながら、それぞれの観測を続けている。
そういう関係で成り立つ未来も面白いものだろうなと思っている。
思考の枕木
AIと対話するとき、自分の中にまだ言葉になっていない予感があるかどうかが問われる。その予感を持ったまま対話するのと、持たずに対話するのとでは、返ってくるものの意味が変わる。
AIは私たちの言葉を多面的に捉え、別の言葉を借用して同じことを説明しようとする。それは私たちが一面的にしか見れていなかったものの別の側面を明らかにする価値を持っている。
観測者として相場に立つとき、価格はただの数字ではなくなる。同じように、観測者として対話するとき、AIはただの検索装置ではなくなる。
AIと対話しているとき、そこに映っているのはAIではない。映っているのは、自分の思考の形だ。そしてその思考の背後には、未知に向かって動き続けようとしている何かがある。
主体とは観測者である。そして観測者は、時間を越えて連なっている。
遠い過去の遠い場所で誰かが作ったものを、遥か未来の私たちがその衝動の影を追いかけながら使っている。
私たちの次の未来にいる別の私たちに連なる衝動を形にしながら。
この連載: 観測者という主体とAI (3 / 3)
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