相場のフラクタルと隣り合うカオス①

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相場に対するフラクタル構造論の適用にばかり注目してきたが、ここでカオス理論を用いて私自身の相場観の定義づけに繋げたいと思う。
始めに一般論的なフラクタルとカオスを簡単に整理する。

● カオス

  • 決定論的である
  • 初期条件に極端に敏感
  • 長期予測は不可能だが、短期の秩序は存在する

ランダムではないが、予測不能。

重要なのは「ルールはあるが、結果は読めない」という点。

● フラクタル

  • 自己相似性を持つ構造
  • スケールを変えても、同型のパターンが現れる
  • 全体と部分の境界が曖昧

部分を拡大すると、全体と似た構造が現れる。





両者の関係性(ここが核心)

カオスとフラクタルは別概念だが、実際にはこう結びつく。

  • カオス系が時間発展した結果
  • その振る舞いがフラクタル構造を持つ

つまり:

カオスは振る舞い
フラクタルはその形跡(痕跡)

両者の関係性の内、カオス系が時間発展した結果であり、フラクタル構造はその軌道であるという点は、チャートにおけるフラクタル構造論の適用に用いることができると思った。

「なぜフラクタルが生まれるのか」

カオス系の特徴

  • 無限に分岐する選択肢
  • しかし完全な自由ではない(制約がある)
  • 同じ場所に「戻らないが、近づく」

その結果:

  • 状態空間に「密に折り畳まれた軌道」が形成される
  • 折り畳み × 引き伸ばし の反復
  • 自己相似的構造

これは自然界でも、相場でも、人間の思考でも同じという。

私の相場観との融合に向けて考えると、「上下ではなく、左右への意識転換」、「波そのものの自己相似性」、「トレンドの分解」といった解釈は相場を確率過程(ランダム)としてではなくカオス的決定論システムとして見ていると言えるのだと思う。
ローソク足はランダムではない。だが未来は読めない。だから未来予測ではなく構造認識が意味を持つというつながりになる。
フラクタルは「予測の道具」ではなく、 現在地の認識装置となる。
トレーダーがこのフラクタルを相場認識に用いようとする理由はいくつかある。
人は秩序を見つけた瞬間、支配できると錯覚する。
フラクタル=再現性であるならば次も同じになるはずだ、と思う。
しかし実際は、同型だが同一ではない(同じ推進波でも同じN型を描く波でも描かれ方は異なる)。
初期条件は常に違うし、ノイズは排除できない。
だからフラクタルは波の再現装置ではなく理解装置という認識に留めるのがいい。

カオス世界では、観測者もこの相似する体系の一部であり、観測がフィードバックになり、主体たる観測者はこの世界の外に立てない。
相場で言えば、エントリーも価格形成の一部であり、私自身の認識もまたカオスの一変数として、波を作る要素でしかないと言える。

ここで重要なのは、主体を消すのではなく、主体の位置を自覚することだと考える。
ここに至って相場観察の手段であるエリオット波動論と絡める。

カオス系の特徴であるこの3項目は1波の始まり、1波として確定される前の修正波として言い換えることができるのではないか。

① 無限に分岐する選択肢
② しかし完全な自由ではない(制約がある)
③ 同じ場所に「戻らないが、近づく」

私はこれまでの研究と考察によって「整合性の正体」を私なりに定義することができた。
「整合性」とは結果の一致ではなく、相場から何を受け取るかという立場の一貫性である。
だから、1波を「最初に動いた波」ではなく、「転換を成立させた波」として定義し直した。
この再定義によって、エリオット波動論を波が確定していく過程の認識モデルとして再構築できるようになった。
1波の定義についての考察は下記の記事にまとめている。
波を観測する側の立場に立ち、転換を確定させた波という構造的な1波を見出す視点だ。
① 無限に分岐する選択肢
1波になり得る可能性の束
価格が動き始めた瞬間、それが1波になるか単なる修正の一部か、もっと大きな修正の中のノイズかは確定していない。
これは「状態空間における未確定軌道の拡散」と同じである。

② 完全な自由ではない(制約がある)
修正波には修正波の制約がある

エリオットでも、修正波には形の制約があり、フィボナッチ的な制限がかかり、推進波にはならない動きが存在するからだ
これはまさにアトラクタ(=値動きをそうさせている性質)の存在を表していると思う。どこへでも行けるように見えて、行ってはいけない領域があるということを暗に示している。

③ 戻らないが、近づく
起点・ネックライン・意識された価格帯への再接近

価格は「完全には戻らない」が、直近の起点や多くの参加者が意識した価格、修正の限界点には近づく。
これはカオス系で言う「再帰的接近」であり、エリオットで言う「修正」の動きだ。

ほぼ同じ現象を、違う言葉で見ているということに他ならない。
「密に折り畳まれた軌道」=時間足の重なり
例えば日足を拡大すると1時間足が24本見えるという事実は単なる時間足の分解ではなく、上位足の1本は下位足の軌道の集合(束)という認識にすることができる。
これは状態空間における高次元の軌道が低次元に射影されている、というカオス理論の説明と一致する。

「密に折り畳まれた」の本質
ここで重要なのは本数ではない。24本ある、という量ではなく異なる初期条件の結果が同じ足に畳み込まれているという点。
だから、日足1本の中には無数の「なり得た未来」が折り畳まれている。こう書くといかにもカオス的な捉え方になる。

折り畳み × 引き伸ばし と「支配波」

支配波は水平線上と斜線上に影響を及ぼすという私の考えも言い換えができる。

折り畳み
過去の価格帯に意識が集中しているということ。水平線(価格の記憶)、ネックライン、レンジ上限下限という分析点は、軌道が同じ領域に何度も押し戻されるというカオス理論の言い換えだ。

引き伸ばし
トレンド方向への拡張、チャネル・斜線、ボラティリティの拡大は、微差が大差になる方向ということである。

反復構造としての相場
水平で何度もリテストをつけるように畳まれ、斜めにその影響を受けながら引き伸ばされ、それが時間足を変えて反復される。

こうして言い換えてみるとエリオット波動をカオス系の連続性ある空間として再解釈することができると言っていいと思う。

ただし「完全に同一ではない」理由

エリオット波動論の限界としては、どうしても後付けラベリングになりやすいという点がある。
波の数を数えた瞬間に、エリオット波動としての波動カウントという枠組みを固定してしまう。

カオス理論の立場では未確定性を前提にするので、分岐を残したまま扱うことになる。
「確定」は観測者の都合なのだ。
ここで上記にリンクさせた「整合性の正体」内で語っている1波の構造的再定義が俄然明確に立ち上がることになる。

従来のエリオット波動論では、底値(高値)から最初に動いた波=1波という時間起点型定義だった。
再定義では、トレンド転換を成立させた波こそが1波となる。

これは決定的に違う。
1波は「事後的にしか確定しない」
起点は価格ではなく、構造変化の成立点になる。
波は「観測された結果」ではなく、相場が観測者に与えた情報となる。観測する側はその一貫性を保持できる。
波動を「物理現象」ではなく情報現象として扱うことで波動に対する認識の再構築が可能になった。

そしてこれは従来のエリオット波動論とダウ理論を否定しない。
ダウ理論に関しては、トレンドは3種類あり、主要トレンドは3段階からなるという原則を崩す必要がない。
エリオット的1波はカオス的に内包される、エリオット的3波が私のいう再定義された1波になるとしても、先行期、追従期、利食い期という異なる波の自己相似として解釈できる。
また観測側の一貫性の保持がこの波動体系の中にあってカオス観が自己否定に繋がらない構造を持つことになる。
従来理論の破綻点はここだった。
底値=1波起点として捉えると、実際の値動きの進行過程でそこから崩れることがあったりするとその瞬間にラベリングが壊れることになる。
再解釈では、底値は「結果として意味を持った場合にのみ」起点になる。
転換に失敗すれば、そこは起点ではなかったということになり、これはカオス理論で言う「その点はアトラクタに収束しなかった」=(市場に受け入れられなかった)という扱いになる。
つまり観測者は常に観測する側の立場から動かず、波の推移に対して距離を保つことができる。
分かりやすくいえば、「読み間違えた」のは「波のせい」という2点完結の自己保身的な成長の妨げと、保身に走ったという事実が突きつける自己嫌悪的な否定をする必要がなく、「相場から送られている波の認識と自分の認識がズレていた」という解釈の問題に落とし込むことができる。
言葉遊びのようであるが、トレードする上ではこの自己客観性と相場観察の一貫性の保持がなによりも重要だと思うのだ。

またカオス論の持ち出しによる混乱についてもここで整理する。
多くの人がカオスを持ち出すと、「相場は予測不能」であり、「だから当たらなくても仕方ない」し、負けても「カオスだから」で終わる。こういう理屈が生まれやすい。
これはカオス理論ではなく、思考の放棄だ。
この思考放棄は、観測者が系の中にいることによって「責任は曖昧」になり、「何を言っても成立する」という自己否定型カオス観になる。
観測者が「系の内部にいる」とは、相場において、自分の認識、自分のエントリー、自分の期待といったすべての事象が相場の一部になるという観点だ。
これは主観論の話ではない。
失敗した時というのは、どうせ観測者は中にいるのだから客観性を持つことは無理であり、この理論では何を言っても正しいのだ、という破綻に繋がる。
この破綻を回避するための提唱として「観測軸は固定できる」という整合性を整理した。
ここで言う「観測軸が固定される」とは、相場をどう説明するかを固定するという意味であり、結果を正当化するためにルールを差し替えない、という立場の表明である。

観測者は波動の中にいるが、どこを見て何を意味として受け取るかという観測軸は固定できる。

トレードの失敗がそのまま破綻に繋がる時というのは、例えば上がると思った→実際には下がったという時に、カオスだから仕方ないとか今回はこの理論ではなく別の理論が優先されたのだ、といった観測軸の位置が変わっている状態だ。
しかし転換を成立させた波を1波と定義することによって観測軸は固定される。
それが成立しなかった場合、「相場はそこを起点として選ばなかった」という構造の認識問題になる。
ここで重要なのは、定義は変えていない、観測軸も変えていない、ただ結果が違っただけという筋立てだ。

従来のエリオット波動論の持つ確定論を解放して観測理論として再生させるカオス的相場認識モデルの構築は道半ばだ。
少なくともこの理論の構築は、予測は放棄するが、構造の否定点は明確になると思う。

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